◇白雀のプロファイル◇


☆プロローグ
おいらぁ、五体 不満足の人生でおましたんやぁ!
それはもう、不足分を補うんにゃ工夫したり誤魔化したりして穴埋めしてましたぁ!
身体の不足から起きることだけやのうて、心の落ち込みも自ら救いましてんや。
いやぁ 心優しい周りの人らに、数えきれんほど助けてもらいましたぁ!
なんとか今日まで生きてこれましたぁ。感謝感謝でおますぅ!
記憶をたどって、ステージごとのファイリングでおます!

*イラスト:だるま




ファイル1
白雀の最大のアクシデント!

(1980年ごろのこと)
☆1 あれっ なんでやろ!
ひょいと明るい表通りの道に出てきた時、なんか前方がぼんやりしてまんね。
焦点がはっきりしまへん。目こすってもあきまへんにゃ。
物体が認識でけるまでに2〜3秒かかりまんにゃ。
立ち止まらなあかんわけでんな!
家を出たり入ったりして、何べんも試しましてんや。
ほいでも、物がはっきりするんにゃ時間かかりまんねぇ!
ところが、歩き出したら途中でぼやけるちゅうことはおまへんどしたぁ。
ちょっと暗い家ん中に入った時でも、コントラストの見極めでけしません。
暗い場所から明るい場所へ、反対にも出入りする場合に対応に時間がかかるちゅうことやんな!
・仕事でも生活でも、明るさの違う所を出入りせなあかんのですわぁ。
スムースに動けず、難儀しました!
それ以来どしたなぁ、もう元にもどらへんかったぁ!

☆2 それ聞いた吉原眼科医はん、眼の中を覗いたり写真撮ったりしていろいろと検査してくれましたぁ。
球形の検査器の中を覗いて、動く円形の灯りが見えた時にボタン押して記録する視野検査もしたぁ。
それらの結果を見せもって、
「絞りやない、スクリーンがトラブルです!網膜は、きれいで、異常認められません。視神経が弱っているかも・・・?」
と診断結果を言いましたぁ。
網膜の写真を見せてくれましたぁ。眼球の内の網膜は、赤色でしてん。
ほんのわずかドーナツ状に暗さがあった記憶あるぅ。
処方としては、体力アップちゅうことで栄養剤の筋肉注射とビタミン剤の投与でおましたんや。
今すぐに、この状況を改善する方法はありめえへんそうやった。
そのかわり、直ちに症状が悪化するということもなさそうでおましたぁ。
つまり、今でけることは、現状維持だけちゅうことでおましたぁ!
改善が見込めぇへん?嬉しないな!
 これ36歳のことでおましたぁ!

☆3 そういえば、最近じゃ家の中でも職場でも、なんか存在物や危険個所を目視よりも手探りなどの勘に頼った行動してたもんなぁ!
無意識にそんな動きしてたんや。
なんか確認しもって動いてた。おいらのそんなようす、周囲の人だけ知ってたちゅうことでんなぁ。
気づいたとき、おいらごっつう恥ずかしかってんや!
動き、慎重に慎重に!
特に、地下鉄の出入り口の階段では、事故おこしやすいんで目が慣れるまで立ち止まったり超ゆっくり動きましてん。
ほやないと、目前にあるものが、はっきり見えへんので身体が泳いでしまいまんにゃ。
その時にやぁ、自分がなんか分からんようになりまんのや!ああ 無念!!

☆4 処方箋の病名、網膜色素変性症でしたわぁ!
 いろいろと参考文献読みあさってんやけど、よう分かるもんおまへんやった。
眼科医に尋ねても、納得できる答え返ってきやしません。
わかってることは、網膜が赤色から紫色に変色していくちゅうことでんな。
網膜は、血管の集まりですから、血流が乏しなってるちゅうことでんな。
明るさ・形・いろなどを見るための視覚が、衰えますわな。
眼球の円形状の網膜面が、ドーナツ状に変色し始め、どんどん周辺に広がっていきまんね。
勿論、中心に向かっても広がりまんにゃ。
もう真ん中の部分と一番外側だけの視覚が、見える働きをしていたようですぅ。
ほやから、視野が狭くて視ずらかってんやな。
眼の網膜の中心には、周辺とは違った黄斑があって、物体の色・形などを見分けてるんやそうな。
周辺が変色して機能低下したので、明るさ暗さに対応できてへんかったわけやん!
この黄斑が、くたびれてきたら全く見えへんようになるちゅうことやった!
「50歳ぐらいまでかなぁ?失明もあることを考慮して人生設計しなさい!」とこともなげに言われてしもうたんや。
その頃じゃ、眼病に対する医療は進んでいなくて発展途上でしてんや。
日本じゃ、網膜色素変性症についてもなんら妙案はなかったようでしたぁ。
外出する時にゃ、サングラスをかけて強烈な太陽光はさけるようにしてましたぁ。
ほいでも、窓から戸外を見る感じで違和感あって慣れませんどしたぁ。
偏光レンズはありましたけんど、まだ遮光レンズのメガネはおめへんかったぁ!

☆5 これで確認できるちゅう検査「E・R・G検査」を受けて病名が確定しましてん!
42歳でした。まあそうやからいうて、すぐに失明するわけやおまへんどしたぁ。
まあ行動で不自由なことは、いっぱいおましたなぁ!
ほやけんど、特に日常生活に大きな支障おまへんかったぁ。
徐々に悪くなる見え方の中で、生活を状況にみあう行動にしていきましてんや。
急ぎません!走りません!見極めてからでないと対応しません!
非難や差別あっても反応しません!
変人奇人にされてましたぁ!そいでもなぁ、人間のしぶとさでっかなぁ!
周りの人は、みんなおっかなびっくりやったろな!
特に職場じゃ!みんな扱いかねてたようやん?
まあ 公務員やったのが幸いでおましたぁ!
これがために、職業追われることおまへんどしてんや!
なんせ親子4人の生活がかかってましたからなぁ!
なにかにつけて、不遇なことが多いので、気持ちが落込む場面がおますぅ。
その度に、自分を宥め騙し騙し、その場を凌いできましてんや!

☆6 網膜色素変性症ちゅうんは、ウイルス性や機能の欠損で発生するんやおまへん!
先天的な事象のようでしてん。遺伝子に原因があるという!
男性と女性に遺伝子を保有してると、その間に生まれた子に発症するという。
発症するんは、男性に多く、女性にゃ少ないそうな。
女性では、潜在的で表面化することはあまりないそうやった。
遺伝的な発祥の照明は、まだ確証が無いそうであった!
遺伝子の保有者は、全国で5%ほどやそうな。治療方法については、まだ適切な処置が見つかっていないようであった。
アメリカなどでは、眼病研究が二本より進んでいるかと思うたが・・・?
眼の病気が多いのは、日本人とドイツ人みたいやった。そういえば、メガネかけてるん、日本人が世界中で一番ぎょうさんやと本に書いてあったな!

☆7 網膜変性症の視力の現状維持については、体力の維持が一番大切ちゅうことやったぁ。
30歳代の後半なれば、人間の体力は減退の方向にむきまっさ!
素人でも分かりますわぁ。老化現象でおますなぁ!
なんか良い方法はおまへんかいな?あちこち探しまわりましたぁ!
そんなん、特効薬おまへんどしたわぁ。自分でできることは、食事療法しかありまへん!
おいら、体質的に胃腸の消化が思わしくありまへんのや。
ほいで、あんまし刺激の強いもの食うことできしません。
鯖とか背中の青い魚あきまへん。腹痛とか蕁麻疹が出るとかなりまんにゃ!
ほんま、ええとこ無しどすぅ!
スポ−ツで身体能力を鍛えるちゅうても、速い動きできしめへん。
強い筋肉トレ−ニングも、危険がつきまといますんや。
まあ元気に働き続けるしかおまへんどしたぁ!

☆8 唯一、とりくんだんが、胎盤の養分を体内に注入するという方法をとりいれましたぁ!
出産の時の胎盤には、凝縮された栄養分があるので抽出して液化する。
それを患者の腹部の皮下脂肪に注入するとのことであったぁ!
10年ほど通院したかなぁ!効果があって、体力アップできていた気するなぁ!
特異な手法の医療やったんやけど、医師が増え患者も増えたんやろなぁ?
それから、胎盤の入手に無理ができてきたそうな?
他にもいろいろな医療分野で活用され始たそうやった。
ある時、医療の継続は無理ということで終了を告げられましてんや!

☆9 網膜の損傷の自覚は、見える範囲、視野がだんだん狭いで感じましたぁ。
それに、明るさについては、さらに順応が遅くなってきましてんや!
それまでからコンタクトレンズをしていたんにゃが、あんまし見えんようになりましてん。
だいたい分かるけど、微妙な違いが認識でけへんのですぅ。
拡大鏡を使って大きくしないと文字が読みとれまへん。
それに、ペンで書きこもうとすると、視点とペン先がずれて困りましたぁ!
また拡大鏡も邪魔で書けしません。
常に、ちっこい虫メガネを使とりましたぁ!
手軽でポケットに入るし、見たいものだけおおきゅうできる便利さおましたぁ。
ほやけど、見ている点と書き込む点とが、何故か合わずに違う位置に書いてしまうことが増えましてんや。極力書くん控えましてん。
とはいうても、うまく書くことでけへんのがかっこう悪いちゅう思いが強かったぁ!

☆10・ 一年一年と正月がくるたんびに、見え方に違いができてくるみたいな気しましたなぁ!
ああ こんなんになったかいな?と差を感じましてんや。旧人類やもんで、正月が区切りちゅうことでしてんやろな!
なんか暗い地底に向かって階段を一段一段降りていくみたいやった!
見え方の違いが悪うなっていくんでぇ。気持ちの落ち込みが、家族にものりうつる気しましたぁ!
多分家族も思いあまってたんやろなぁ!
医療費や交通費がかさむんで、障害者手帳を取得することにしましてんや。
視野検査で、網膜面で11度いうことで大阪府に申請しましたんや。
眼科医が、ちょうど診断医だったもんで、スム−スに手続きできましてん。
申請窓口は、居住地の市役所で扱ってましたわぁ。
5級手帳が交付されました。本人だけ、交通機関の切符や施設の入場券なんかで割引がおましたな。
いろんな税金も低くなってたかなぁ!
夫婦と二人の息子との4人暮らしやったが、共働きやったんで家のロ−ンはらいながらも普通の生活できてたと思いまんな!
そやさかい、手帳のこと公表してまへんどした。あんまし手帳使機会もおまへんどしたぁ。

☆11・ 十年ほど、近所の眼科医に通院していたんやけど、治療方法の変革はおまへんどしてん!
その上、栄養剤の筋肉注射や服用なんかも効果ないということで廃止になりましてんや。
通院した時は現在の状況を点検するだけということになりましたぁ。
ほな、仕事を休んでまで無理して通院する意味おまへんちゅうようになりましたぁ。

☆12・大阪府の難病指定に、網膜色素変性症も入ってたんですにゃ。
大阪府から、特定疾患認定証が交付されてましたぁ。
医療費が、無料の時もおましたな。
そやけど、所得がある者は、1割負担やった気しますぅ。
おいら、共済保険やったからなんも利用することおまへんどしたぁ。
そんな気しとりますぅ。だいぶ前のことなもんで、あんまし憶えとうおまへんにゃ。
医療制度もよう変わったもんやったぁ!
難病指定ちゅうんは一般名で、特定疾患という。
大阪府から援助金が支給されるんやなぁ。
病名が16種あったかなぁ?
これも制度ないようが、ようかわりましたなぁ!
毎年更新手続きおましたんや。
眼科医の診断と証明がいりましてんや。当然でっけどなぁ。
2015年度からは、制度内容に大きな変化があるようですわぁ。
ほやけどなぁ、おいら、完全盲人や!
人生も終末や!網膜色素変性症の医療も受ける必要おまへんのや!
難病指定を申請してまへん!むろん、特定疾患証も持ってまへん!
自己責任で切り捨てましたぁ!・・・(2015.05.23.記)







ファイル2
なんで、みんなとおんなじように見えへんのやろ?

(1950年ごろの思い出)
☆1 近くの友らと遊ぶ時、うまいこと遊べへん?
道端で遊んでると、うまいこと動かれへん。
「おーい はようこいやぁ!」と呼んでる。
うん わかった!。と走りだすんやがぁ。
ばたっとこけましたんや!
なんやろ? 見たら杭の棒があってん!
「こっち行くでぇ!」という友の声やん。
その子の行ったほうに曲がったら、溝に足が落ちてひっくりかえるんどしたぁ!
こんなこと何べんもおました一年生!

☆2 特別席を約束されてた教室!
背丈がちっちゃいこともあって、常に最前列の机やった学校でしてん。
ほやから、黒板なんかは楽勝でしたぁ。
動かないもんにゃ、対応でけてたんどすな!
今 思い出すと近くの人に、うまいことタイミング合わせて話かけられへんかった。
会話の流れに乗れてまへんどしたな。
情況が、おいらきっちり見極められへんのやったぁ!
まぁ 動きが見えてへんとんちんかんやってんやろな?
そんな感じでおもろない男の子の二年生!
家族は、みんなしてなぁ、
「気ぃつけやぁ!急いたらあかんでぇ!」いうだけでしてん。
多分、子どもやん成長すりゃぁようなるでぇ?
そんなふうに、想うとったんでっしゃろな!

☆3 動いてる物の存在が捕らえきれんちゅうんが、悩みのタネやったぁ!
飛んできたボールは見えても、跳ねていった先がわからんかってん。
友だちも、ボール遊びする年齢になってきましたぁ。
落とした物がどこにあるんか、どこへいったか分からへんにゃ。
友の速い動きも、追いかけられへんどしたぁ。
みんなも、おいらとつきあいきれへんようになってんやろな?
気がついたら、ひとりぼっちどしたぁ。
おいら、仲間はずれになってましたぁ!
そうやろなぁ?おいら、問題児やってんや!
いつも一緒やったら、何事が起こるか不安やもんなぁ。
危険物に思われててんやろな!
そんなん、四年生ごろのことでおましたぁ!

☆4 流石に、のんびり家族も心配になりましてんやろな!
でかい病院で診てもらおうちゅうことでなぁ。
京都のおばさんに連れられて、大学病院にきましたぁ!
おいら、むっちゃ期待してましてん。
なんしろ、天下の大学病院やもんなぁ。大船に乗った気分でしてんや!
ところが、「きつい斜視があるから、治しましょう!」
きついメガネの調整をしてくれたぁ。
このメガネは、いつもかけるのは無理があります。
頭がくらくらするんで、その意味わかりましてん。
もっと早くからメガネ浸かってたら、これほど悪くなってなかったんやてぇ!
そんだけて終わりでしてんや。
今、しばらく様子を見守りするちゅうことになりましてなぁ!
見えにくい部分のことは、問題外になりましてん。
まぁ現在で考えてみたら、まだまだ眼科の検査器具の発達してへん時代やん。
問診に対して、おいらの答えが総てやんな!
おいら、自分で分かってないことやん。言えるはずおまへんわなぁ。
医師にすりゃ、正確に症状把握とはいかんかったんやろな?

☆5 メガネかけるん、違和感あってむっちゃ嫌でしたぁ!
誰もが認める近眼なのになぁ、メガネ嫌でしてん。
おいら、黙ってりゃどんくさい近眼坊主の姿を隠せてる思うてましたんや。
はっきりと近眼の看板かけてしまうという嫌悪感あってんやろな!
「メガネかけてるほうが安心やでぇ!」とみなさんアドバイスしてくれてましたぁ。
それを素直に受け入れるにゃ、何かが足りんかってんや?
ぶあついレンズのメガネ、恥ずかしいもんやったぁ。
きつい度数なもんで、頭の中がクラクラした思いありますなぁ。
それよりか、おいらの姿が普通じゃないことが劣等感を倍増しててんやろな!
それまでにも、コンプレックスが歩いてるという思いきついかってんや!
なんで、おいらだけこんな動きとれへん身体やねん?
そやさかい、みんなから除け者にされるんやないかぁ!
そのころは、家族をはじめ総てに反抗してるおいらやってんやろな!

振りかえってみると、そのころにも、きっちり差別や虐めおましたなぁ!
そうなるだけの事実を抱えてる当人やん、しゃぁないわぁ!

世間じゃ、それが普通の受け止め方という時代やってんや!

☆6 明確になってきた、独特の見えかたをしているおいらの眼!
成長するにつれて、おいらの視力の特徴がわかってきましてん。
周囲の人らが、漠然としたとらえかたの近眼やのうてなぁ。
おいら自身で分かってきましたんや!
おいらの視野の広がりの狭いことがでんなぁ!
その視野の広がりに、ある部分じゃ、見えてへんとこあるんやちゅうことやん。
そやさかい、常にきょろきょろせなあかんかってんやな!
中学生の頃に、だんだん気がつきましたぁ。
立ってる棒、地面にある穴、落した消しゴム、動いてるボール、人の顔なんかなぁ!
それらに近づくほど、いつのまにか消えてしまいますんや!
ちょっと離れたとこにある場合じゃ、それらを眼で認めてますんやがぁ!

☆7 自転車に乗ってる時にゃ、よう分かりましてん。
みつめてる前方の路から、音がする左向こうの様子を見てしまう。
ほんで、道の前方へ視線を戻したら、置いてあったバケツがあれへん?
あれっ 思た時にゃ、自転車ごとひっくりかえってましたぁ!
何べんも痛い目に合ううちに分かりましてんなぁ!
そやさかい、いつもくわしゅうに観察しましてなぁ、常にゆっくり動いてましたんや!
いつも遊んでる友じゃ、分かってるんで危険を教えてくれましたぁ!
自分自身じゃ分からんとこは、周りの人に訊ねてましたぁ。
掲示板や黒板なんかで、図形とか見えにくい時は、いつもそうでしてんや。
一回で記憶するようにがんばりましたぁ。
ほんで、記憶力だけは向上したみたいどしたぁ。
何べんもやったらなぁ、誰でも嫌がりますもんな!
たやすく気軽に教えてくれる人が、おいらの大好きな友だちでしてんや!
そんなんあんましいたはりまへんどしたわぁ!

☆7 竹馬の友おましてんや!
おいらのこと分かってくれてた唯一の友、コマァンはん!
小学生の中頃から、長く続けてくれてた友でしてん。
おいらのこと、すべて分かってくれてなぁ、そいで受け入れてくれましたぁ!
そんなに口数が多いほうじゃなかったぁ。
ほんでも、広い心で優しくてなぁ。
おいらのこと、大切にしてくれてましたぁ。
同じように、ちょっと近眼でしてんや!
大きくなってからは、メガネかけて、公務員がんばってましたぁ。
ほんま彼は、心の支えになってくれましたぁ!
彼ひとりが、おいらの子ども時代を正当化してくれてましてんや!

☆8 すべてをリセットしたかった高校進学!
今になって振り返ってみると、あんまし考えた行動じゃおへんかったぁ!
なんか変身できる?異端児扱いから脱出できる?
みんなとは違う高校なら、新天地なら、新しい自分自身が造れるんやないかな?
そんなわけで、おいら完全に知らん人ばっかしの高校へいきましたぁ!
自分の心がまえは、きっちりと切り換えて始めた高校生活でしてんや!
ほやけんど、身体状況にゃ、本人が思うほど変わってまへんでしてんやな!
どぎついメガネかけてなぁ、いやぁかけたりはずしたりでなぁ!
まわりの人らは、おいらの過去を知らんもんばっかしやったぁ。
現実のおいらを見りゃ、一目瞭然でしてんや!
あえて追及してくることおまへんどしたぁ。
ちょいと距離をおいてる感じでしたぁ。
そやさかい、今までと変わらんスタンスでの毎日でしたぁ。
どんくさい無口な男子、消極的でうっとおしい男子、自分勝手でつきあい難い男子でおましたんや!
ほやからいうてぇ、学習にガリベンするほどの根性もおまへんかったぁ!
みんなから除け者にされてる、いや集団とは自ら逃避してたんや思うな。
つまるところ、ひとりきりのお宅族でしてんや!
なんだかぁ、心も体もばらばらでまとまらんと、いつのまにか3年間が終わってましたぁ!
そんなんで、特に近しい友人って一人もおまへんどしたぁ。
それに、今になって思い出すほどのレガシーなどおまへんなぁ!
ほんまは多情多感の思春期やったんやから、いろんなことあったはずやがなぁ!







ファイル3
リセットできた、おいらの人生!

(1960年ごろのこと)
☆1 日光のあたるおもてに出てきましたぁ!
おいら、町のメガネ屋さんで小耳にはさみましたんや!
おじさんは、一緒に売ってる時計を掃除しもって話してくれましたぁ。
日本でも売り出しが始まってるそうな?
コンタクトレンズのことをでしてんや!
強度の近視にゃ、むっちゃ効果的やという。
説明を聞くだけで痛い!
おいら、レンズを眼に貼り付けるなんて信じられへんかったぁ!
ほんでも、生来の珍しいもん好きの虫が収まりまへんどしたぁ。
ともあれ、実地体験にと出かけましたぁ!

☆2 目の前の世界が一変しましたぁ!
大阪心斎橋のコンタクトレンズ研究室という看板!
アメリカ帰りの眼科医を訪ねましたんや。
プラスチックレンズ?  薄くちっちゃいレンズを調整してもらいましたんや。
これ以上のレンズはない!ということでしてん。
びっくりしましてん。よう周りが、くわしゅう見届けられましたぁ!
両眼とも、視力0.7でしたぁ。
自宅までの帰り道、どんどん安心安全で進めましてんや!
ほんでも、何故見えにくい部分があるんかは、診断でけまへんどしたぁ!
ソコヒかな?りょくひかな?
はっきりした診断おまへんでしたぁ。
おいらの眼病の診断とか治療とかの医術、まだまだやったんや!

☆3 ほんまリセットできた生活でおましたぁ!
大学生活も、まぁ人並にでけましてんや!
自分なりに生活レベルにゃ、向上した思いおましたぁ。
スポーツにゃ、相変わらずまるで無能でしたぁ。
動態視力までは、コンタクトレンズでカバーできしませんのや!
それに、見えにくい部分があることにゃ、殆ど解消しとりまへんどしてん。
ほんでも、仲間とつるむにゃ、これでもじゅうぶんどしたぁ!
同じような感性のグループで、初めて楽しい仲間ができましたぁ!
これからの人生設計するにゃ、じゅうぶん耐えうる身体状況になりましたぁ!
ほんで、将来の職業選びにも選択枝が増えましたぁ!

☆4 植物の葉のスジは、初めて認められるようになりましたぁ!
花のメシベやオシベも、花粉までも見えるようになりましたぁ。
コンタクトレンズの効用は、作業能率を一新でしてん。
ほやけんど、イネの苗と麦の苗の見分けでけしませんかったぁ。
そんなんやから、選り分けて雑草抜きじゃハチャメチャでしてんや!
車の運転も、無理難題でおましたぁ!
一瞬で認めたり、素早く把握したり、ほんまでけへんかってんやぁ。
アバウトな取り組みかたでは、農作物の栽培を独りでやりとげられへん!
ほんで、父の仕事を引き継ぐん、さっさと逃亡しましてんや!
今の自分の状況に適した仕事、どこかにあるかもと探し回りましたぁ!
いやいやぁ 仕事探しやおへん。
自分探しでありましたぁ!

☆5 新天地を求めて、大阪へでていきましたぁ!
そやおへん、自分でもできそうな仕事探しでんにゃ。
新しい土地で生活するんや、生活基盤を作ろうってなぁ。
とりあえず、できることに就職しましてん。
それから計画立てて、ちょっとずつグレードあげていこうとな?
視力が弱い、特別な才能ない、スマートじゃない、おいらに特上の仕事があることなかったぁ!
ここらでしょうないかなと思う時、教師になってたぁ!
つまり、当時の流行り言葉どおり、でもしか教師にはまってましたぁ。
戦後の失業者や地方の潜在失業者であふれかえっていた大阪!
当然やが、新生児がどんどん増えてましてん!
小学校は、膨らむばっかしでしてん。
新しい学校が、あちこちににょきにょきでけてましてんや!
求人倍増!おいらも、いつしかその流れに乗ってましたんや!
こだわってるよりも、流れに乗ったほうが楽に就職でしてんや!

☆6 仕事で事故なく事件なく務めるには、原則を守りましたぁ!
見えにくい問題をのりこえるためにゃ、原則守りましたぁ。
急がない、しっかり見極める、欲を出さない、確実にできることだけをする。
状況把握にゃ、近くにいてる人の言動や行動を判断材料にしてましてん。
ありがたいことに職場を変わっても、何人かの助けてくれる人がおましてんや!
独りほっとけぇへん、やってること見ちゃおれぇへん、みなさん切り捨てるんでけへんかったんやろな!
おいら、いつもどんじり追走でしてんや!
それでおきる関係者からの揶揄・嘲笑にゃ、まったく分かってへんふりしてましてん。
ああ こりゃ、侮蔑・差別をの実地体験してるんやぁと堪えましてんや。
おかげで、嫌なことをさらりと切り捨てて気分転換する特技を身につけましたぁ!
決して振り向かない、過ぎたことに拘らない!記憶から抹殺してしまうんどすわぁ!
自分でもおかしいくらいやったぁ、変人・奇人のレッテルついてましたぁ!
結果的に40年間ほど、この厚顔無事スタイルで押し通しましてんや!
これしか生きる術おまへん、おいらのレッテルでしたぁ!

☆7 過ぎた事柄は良いことも悪いことも抹殺することで、明日を白紙の全力で臨むというスタイルでしてんや!
そうは言うても、きりかえじゃ難しいもんおましたぁ!
ほんでも、人並みに結婚もしましたぁ。
そんなおいらを理解して、心から受け止めてくれるレディに遭遇しましてんや!
ふたりの男児にも、嬉しいことに恵まれましたぁ。
そんな生活が、自分が働かねばという思いを強くしましたぁ!
収入が少なっかったら、家族が露頭に迷いますもんなぁ。
これ離したら、おいら生きてるかいおまへんもんなぁ。
30年ほど、ほんまぁ 必死のぱっちでしがみついてましたんや!
みなはんにゃ、迷惑なおっさんやったろなぁ!

☆8 仕事でくたびれた神経を癒すために、よく旅に出かけましたぁ!
出かけてる間は、ほんま頭ん中をからっぽにでけましたなぁ。
その後の勤務のエネルギーになってた気しますなぁ!
ましてや、50歳ごろから始めました海外旅行にゃ、生きる意欲をもらいましてんや!
見えにくいんやのうて、全く見えんようになったら行かれへん。
そんな気持ちの中、毎年出かけましたぁ。
一年間、我慢のお務めごくろうはん!という自分への褒美でしてんや!

*フランス・スイス・ドイツ・オーストリア
*イタリア
*デンマーク・スエーデン・ノルウエイ
*スペイン
*北京
*タイランド
*アメリカ
*オーストラリア
*えじぷと・ギリシャ
*カナダ
*ニュージーランド

数えてみると、15ヵ国を見物したことになりますなぁ!
当時の写真は、もう色が褪せてきてましてなぁ?
おいらの技術じゃ、これをまともなファイルにでけしませんにゃ!
また機会があったら、思いでをしぼりだしてこれらの旅行記も書いてみようっと!
無理かなぁ、25年も前やもんでなぁ!  (2017.10.12.記)

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